開店躁だん

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green tempo@曙橋バックインタウン

かいしゃからバックインタウンまで30分しないうちに着いてしまいました。かいしゃの目の前の店でラーメン食ってから来たのに早すぎです。仕方がないのでレトロな曙橋商店街をうろうろ。19時前にあきらめて入店。さすがにこの時間だとお客様もまばら。あれ?予約入ってないよ〜。まやこさあん(アーティストの予約連絡が、店内で伝達共有されなかった模様とその後判明)。まあ、きのふのけふで、店への連絡もばたばただっただらうからと、知り合いの席に詰め込んでもらい、ついでに伝票も分けてもらい(この辺の仕切りは飲食営業やってるおかげかと思います。はい)、さっそく1杯目から。1フードもマストシステムのやうなので、混まないうちにと鴨のテリーヌを注文。あれ?蒸し鶏の、、がきました。サラダでなかったら「それでもいいですよ」と言うつもりだったのだすが、さすがに野菜とビイルではなあと、下げてもらう。混雑しているときのオーダーミスはこちらもやらかす経験がないわけでもないのだすが、このまだまばらな状況で一体何が起こったのでしょう。ホワイむむむ。

でもカウンター&スタッフに一番近いはじ席なので気にせずビイルをばしばし追加注文する。末席はいいですのう。手水処も近いし。そんな中、同席の知人たちも到着。アルカフェのお客様やまさとさんからご挨拶を受ける。いや、本来はこちらからご挨拶に出向くところ、けふはまったく店モオド抜けてただの飲んだくれにつき、ごかんべんをば。

さて、ライブ。やはりステエジは広くていいなあ。うちの5倍くらいはあります。3人編成だとちょっとさみしいくらいですね。あと、ピアノを引いている姿はちょうどお顔が隠れてしまう位置なのが残念。ピアノ中央のほうがおよろしくないかしら。。そうはいっても、音は徐々に会場になじみ、ほどよく空間に広がるリバーヴ感も、やはり広い会場ならでは、と思う。狭いところの良さ、広いところの良さは、それぞれに。

あと、客視点で言わせて頂ければ、女性おふたり、もう少し肌見せ&ゴージャス衣装を期待。単なるおやじ意見みたいだすが、広いステージは案外アコースティック・スタイルには鬼門だから、さみしく感じさせないための工夫はあるに越したことはないと思います〜。あと、女性は立ち位置が近いほうがハーモニーの寄り添い感が出るやうな気がします。後半ステージ観ていないからなんともですが、曲によってはパーカッションが入ると効果がより出そうな印象も受けました。いじょ、えらそでスマソです〜。

一方、アルカフェは狭いながらも、で、カジュアル&シンプルが実は結構売りなんではないかしら、とわが身を振り返り思う。そういわれたらあまり着飾ったりフォーマルなライブは今までも稀少だし、それがピタっとハマるハコでもないんですよね。結局は格式の問題か。わはは。

ちなみに、ヴォーカル&コーラスのまやこ嬢は、アイランズのTOPでもあります。彼女の声は改めて外から聴いてみて、興味深く感じました。以前、天童荒太の『孤独の歌声』といふ小説を読みましたが、声紋をテーマとしたこのミステリーによると、非常に稀少ですが“孤独の歌声”と称される、ある一定の周波の声があるそうです。「さみしい、けど、あったかい」と評される、この声のことを思い出しました。表現のモチベーションに溢れている歌声は、それ自身で満たされていたり、時にはいい意味でもそうでない意味でも‘過剰’であったりします。そのオーバーさやいびつなところが、アーティストの魅力につながる部分でもあります。それとは反対の方向で、充ちていない(決して足りないということではありません)、さみしい、というのは、それだけで不思議な印象を与えます。充ち満ちていない状態で完成された世界、とでも言うのでしょうか。さみしい、その状態が、その形のままでひとの心に届いて、その中でさみしくない状態になる。プロセスの不思議さを感じました。

この声にどうアプローチしていこうか、ちょっと長期戦になるかもしれませんが、いつかそんな声にぴったりハマったアレンジを掘り出してみたいと思いました。曲ネタ、ネタ、、、あと、全然方向性は違うかもしれませんが、山崎ハコなど思い出しました。やっぱりフォークなのか(^^;